日本建国はいつか?(魏志倭人伝と古事記、日本書紀の関係)
   7 垂仁天皇
   8 景行天皇
   9 成務天皇
  10 仲哀天皇
  11 応神天皇(応神天皇の神性は後日)
  12 仁徳天皇
  13 履中天皇 倭王「讃」以下宋書の倭の五王
  14 反正天皇 倭王「珍」
  15 允恭天皇 倭王「済」
  16 安康天皇 倭王「興」
  17 雄略天皇 倭王「武」

となる系図が正解となる。

 17代雄略天皇から1代平均12.2年として、雄略天皇(456年即位)が即位するまで、207.4年前が天照大神の時代と考えることになる。だとすると、雄略天皇即位456年から207.4年前は248年となり、西暦248年に天照大神が存在していたことになる。
 そして思い出して欲しい。卑弥呼の死亡は魏志倭人伝から西暦247年(248年が正解とも言われる)没とされている。全くぴたりと符合するのである。
 つまり、嘘っぽい記紀にしても、常識をもって考えれば以上の考え方が、魏志倭人伝の続編としてきちんと繋がるのである。
 そして、日本書紀でも天照大神は女性神として書かれていることからも以上の考えが肯定されるのである。
 この同じやり方で考えれば、神武元年は西暦320年頃となり、このあたりが日本建国元年ということになる。つまり、今年はおよそ皇紀1700年であり、天照大神没後およそ1770年が経ったということなのである。
 また、邪馬台国九州説を裏付ける根拠として、記紀では天照大神はスサノオの乱暴に対して岩戸隠れをした物語があるが、これは、よく、皆既日食と言われるが、そうではない。皆既日食はなにもその時が初めてではないし、以後の歴史の中でも人々が、経験していることであり、こんな物語を書けば人々に笑われるだけである。
 その上アメノウズメノミコトのストリップなどの儀式を行う前に皆既日食は終わってしまう。
 この物語は、火山の噴火による太陽光の遮断である。それなら、儀式をする時間もあるし、天変地異として、作物への影響、降灰による恐怖など説明が付くのである。であるとしたなら、機内説ではこの火山噴火はほとんど考えられない。そもそも火山がないからだが、日本はほとんどの時期西風が吹いている。過去の火山灰の影響地図も西から東に向けた降灰地図となっている。
 だとするなら、やはり、天照大神(卑弥呼)は九州に居たことになる。阿蘇、九重山、由布岳、別府の鶴見岳など考えられる火山活動には事欠かないからである。このことからも、邪馬台国九州説が裏付けられるのである。従ってスサノオは巷間よく言われる台風の擬人性ではなく、火山の噴火及びそれに伴う地震の擬人化なのである。
 


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