終章
 邪馬台国は魏志倭人伝でも、南の狗奴国に対し、形勢が良くなかったことは、想像に難くない。これは始めにも書いたように、狗奴国は呉の応援を得て武器や戦術に当然長けていたと考えられるが、一方邪馬台国は魏から旗や、檄を貰っただけで、勝てるはずがない。
 ましてや、卑弥呼死後内紛が起こっていることから、もはや、戦争どころではなかったであろう。その場合大統領や君主はどうするか?今も昔も変わらず、亡命か遷都しかあるまい。この場合他国に移るケースなら当然、始めにも書いたように、銅鐸文明対銅矛文明、ましてや、最近まで戦争をしていた国なら戦術も心得ているはずで、容易にとはいえないまでも、狗奴国よりは戦い安かったものと考えられる。

 だが、その戦争で神武の兄たちは命を落とすほどの戦いがあったことも事実であろう。戦術に長けているとは言え、いわば退却戦に近いものだからである。
 それでも、機内勢力の一部と通じたり、裏切りなどでどうにか奈良を物にした。これが、神武東征の真実であろう。
 しかし、これで、とにもかくにも神武はとりあえず一国を支配できたのである。だが、これでは、日本統一ではないではないか?となるが、これで、日本統一なのである。記紀では神武は狗奴国に敗れて九州を出てきたのではなく、葦原中国を治めるため東に船を出したことになっているから、物語上敗れて出てきたのではなく、九州は未だに神武の支配下という形になっている(もしかしたら一部がゲリラ戦をしていたかもしれないが)からだ。そうなれば、当時の日本つまり、西日本は統一されたことにならなければならないから、この時点で日本統一となるのである。実際はその後ヤマトタケルの熊襲(狗奴国)征伐まで(この時期すでに呉は滅んでいた)統一は出来ないのだが・・・
 つまり、記紀では第13代、本記述では第8代景行天皇まで実際は後の話になるのだが、記紀では権威付け、日本建国を古く見せるため物語を作ったのである。これが、神武東征の真実である。

 以上のように、常識的な考え方と、簡単な算数で日本の古代史は解けるのである。
 魏志倭人伝にしても古事記、日本書紀にしてもある意味重要な事柄には、かくも親切にそして、忠実に史実を伝えているのである。これが、日本史の謎の第一回目の解答である。



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